高校山岳部で登山を始め、大学で社会人山岳会に入会してから才能が開花。フリークライミング、ボルダリング、アルパインクライミング、アイスクライミング、沢登りと、あらゆるクライミングカテゴリーに情熱を注ぎ、いずれも高いレベルで実績を積み重ねてきた。なかでも、20代後半から始まった海外遠征では、同世代の仲間たちとアラスカやヒマラヤの岩壁で次々に成果を挙げ、世界の山岳界からも注目を集める存在になった。日本独自のスタイルである「継続登攀」をアラスカの大岩壁に持ち込んだ2008年のデナリ継続登攀では、米国「CLIMBING」誌のゴールデン・ピトン・アワードを受賞。また、インドヒマラヤ・カランカ北壁ダイレクト初登攀では、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドールに輝いている。国内においても、厳冬期の北アルプス黒部横断を、5年連続を含む計7度敢行。とりわけ、2016年には32日間におよぶ日程のなかで、通称「黒部ゴールデンピラー」の初登攀に成功。これは国内アルパインクライミング史に残る記念碑的登攀として高く評価されている。さらには、台湾の「恰堪溪」やレユニオン島「TOUR DE FER」など、のようなスケールの大きなゴルジュ帯の遡行にも意欲を燃やしてきた。そんな佐藤は、2019年2月、南米パタゴニアのフィッツロイ山群での継続登攀中に事故に遭い、九死に一生を得る。帰国後もしばらくはその影響が残り、加えてコロナ禍も重なって、意欲を喪失。一時はクライミングからの引退も考えた。それでも、ほどなくして完全復活を果たし、現在は山岳ガイドとしてクライミングの魅力を人に伝える傍ら、年に1、2回の海外遠征を続けている。以前のような記録を意識した登攀から、「自分が楽しいと思える」クライミングにシフトしつつも、高いモチベーションを保っている。やはり佐藤裕介は生粋のクライマーなのである。
1979年生まれ
高校山岳部で登山を始め、大学で社会人山岳会に入会してから才能が開花。フリークライミング、ボルダリング、アルパインクライミング、アイスクライミング、沢登りと、あらゆるクライミングカテゴリーに情熱を注ぎ、いずれも高いレベルで実績を積み重ねてきた。なかでも、20代後半から始まった海外遠征では、同世代の仲間たちとアラスカやヒマラヤの岩壁で次々に成果を挙げ、世界の山岳界からも注目を集める存在になった。日本独自のスタイルである「継続登攀」をアラスカの大岩壁に持ち込んだ2008年のデナリ継続登攀では、米国「CLIMBING」誌のゴールデン・ピトン・アワードを受賞。また、インドヒマラヤ・カランカ北壁ダイレクト初登攀では、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドールに輝いている。国内においても、厳冬期の北アルプス黒部横断を、5年連続を含む計7度敢行。とりわけ、2016年には32日間におよぶ日程のなかで、通称「黒部ゴールデンピラー」の初登攀に成功。これは国内アルパインクライミング史に残る記念碑的登攀として高く評価されている。さらには、台湾の「恰堪溪」やレユニオン島「TOUR DE FER」など、のようなスケールの大きなゴルジュ帯の遡行にも意欲を燃やしてきた。そんな佐藤は、2019年2月、南米パタゴニアのフィッツロイ山群での継続登攀中に事故に遭い、九死に一生を得る。帰国後もしばらくはその影響が残り、加えてコロナ禍も重なって、意欲を喪失。一時はクライミングからの引退も考えた。それでも、ほどなくして完全復活を果たし、現在は山岳ガイドとしてクライミングの魅力を人に伝える傍ら、年に1、2回の海外遠征を続けている。以前のような記録を意識した登攀から、「自分が楽しいと思える」クライミングにシフトしつつも、高いモチベーションを保っている。やはり佐藤裕介は生粋のクライマーなのである。
インドヒマラヤ「カランカ」(6,931m)北壁ダイレクト 初登攀
*ピオレドール受賞
厳冬期黒部横断(2016年までに5年連続を含む全7回)
台湾「恰堪溪」 初遡行
レユニオン島「TOUR DE FER」 初遡行
錫杖岳「しあわせ未満」(5.13c/d R) 初登攀
甲斐駒ヶ岳「スーパー赤蜘蛛」(5.12a) フリーソロ