THE NORTH FACEATHLETE

ATHLETE

馬目 弘仁
ALPINE CLIMBER
馬目 弘仁
Hiroyoshi Manome

1969年生まれ

登山を始めたきっかけは、渓流釣りをしたい一心で高校山岳部に入部したこと。そのとき部室に置かれた山岳雑誌を見て、ヒマラヤ登山やクライミングへの憧れが芽生える。信州大学へ進学後、同時に社会人山岳会に入会し、本格的なクライミングを始めた。大学3年時には半年間休学してヨーロッパアルプスを訪れ、グランドジョラス北壁やフレネイ中央ピラーなど名ルートを登攀した。大学卒業直後には、クスムカングル峰(6,367m)北稜に挑む。これが、現在も続くヒマラヤでのアルパインスタイル登攀の出発点となった。馬目の代表的な実績としては、2006年のメルー中央峰(6,250m)シャークスフィン第2登、2008年のテンカンポチェ(6,446m)北東壁初登攀、そしてピオレドールに輝いた2012年のキャシャール(6,770m)南ピラー初登攀が挙げられる。なかでもメルー「シャークスフィン」は、文字通り「サメの背びれ」を思わせる鋭く切り立った極めて困難な岩稜に挑み、1996年、2001年、2004年の3度の敗退を乗り越え、37歳で登攀成功。そこに至るまでの4度の挑戦を支えた情熱と意志は、日本のクライミング界で長く語り継がれている。2008年からは、若手の育成やアルパインクライマー同士の交流の場として「ウインター・クライマーズ・ミーティング」を主催。また、休刊した老舗クライミング誌の穴を埋めるよう発刊した、伝説のフリーマガジン『Run Out』の発刊人を務めるなど、クライミングコミュニティ全体への貢献度も特筆すべきところだ。現在は、山岳ガイド業に就きながら、2、3年に1度のペースでヒマラヤに遠征し、6000m峰の未踏ルートに挑み続けている。すでに50代後半を迎えているが、「身の丈に合ったルートを選び、それなりに挑戦するつもり」でいる。そんな馬目にとって、「アルパインクライミングは生涯スポーツ」なのだそうだ。

1989年
ネパールヒマラヤ・クスムカングル(6,367m)北稜 完登
1994年
インドヒマラヤ・バギラティⅡ(6,512m)南西ピラー 完登
2006年
インドヒマラヤ・メルー中央峰(6,250m)シャークスフィン 第2登
*37歳のとき、4回目の挑戦
2008年
ネパールヒマラヤ・テンカンポチェ(6,446m)北東壁 初登攀
2012年
ネパールヒマラヤ・キャシャール南ピラー(6,770m) 初登攀
2017年
インドヒマラヤ・ラホール山群ダラムスラ北西壁に挑戦
無名岩峰(5,612m) 初登頂
2024年
ネパールヒマラヤ・チョッパ・バマレ(6,109m)東稜 初登攀
日本山岳ガイド協会認定山岳ガイドステージⅡ資格