埼玉県で生まれた田中陽希は、6歳のときに一家で北海道・富良野市へ移住した。大自然の生活に惹かれた父親の決断だった。そうした環境のなか、小・中・高・大学と16年間クロスカントリースキー競技に取り組み、インターカレッジ入賞などの成績を収める。このとき培った体力と精神力が、後の挑戦に大きく活かされることになる。明治大学卒業後は体育教員を志すも、アドベンチャーレースと出会い、人生の舵を“冒険”へと切る。2007年からは、日本で唯一のプロアドベンチャーレースチーム「Team EAST WIND」のメンバーとして活動を開始。これまでに18戦以上の国際レースに出場し、世界屈指の大会であるパタゴニア・エクスペディションレースでは3度の準優勝を果たしている。同時に、群馬県みなかみ町のアウトドアツアー会社「カッパCLUB」に所属し、現在もラフティングのリバーガイドなどを務めている。2014年、田中の代名詞にもなる「日本百名山ひと筆書き Great Traverse」をスタート。鹿児島県屋久島・宮之浦岳から北海道・利尻山まで、日本百名山をひと筆書きで踏破するという前人未踏の挑戦。陸地は徒歩、海峡はカヤックと、移動手段は徹底して人力にこだわり、全行程7,800kmを208日11時間で踏破した。翌2015年には、日本二百名山の残り100座を北から南へ「日本2百名山ひと筆書きGreat Traverse 2」に挑み、8,200kmを222日で完結。そして2018年からは集大成として、日本三百名山301座・約20,000kmを歩く「日本3百名山ひと筆書きGreat Traverse 3」を開始。コロナ禍による中断を挟みつつも、過去に登頂済みだった200名山もすべて登り直し、1310日かけて完全踏破を果たした。2024年7月には、長年所属した「Team EAST WIND」から独立。チームでの挑戦に区切りをつけ、個人として新たなスタートを切っている。今後は、これまで参戦が叶わなかったトレイルランニング100マイルレースも視野に入れ、変わらぬモチベーションで、その恵まれた肉体をさらに駆使しようとしている。
2012年
「Team EAST WIND」としてパタゴニア・エクスペディションレースに出場し、3度の準優勝を獲得
1983年生まれ。
埼玉県で生まれた田中陽希は、6歳のときに一家で北海道・富良野市へ移住した。大自然の生活に惹かれた父親の決断だった。そうした環境のなか、小・中・高・大学と16年間クロスカントリースキー競技に取り組み、インターカレッジ入賞などの成績を収める。このとき培った体力と精神力が、後の挑戦に大きく活かされることになる。明治大学卒業後は体育教員を志すも、アドベンチャーレースと出会い、人生の舵を“冒険”へと切る。2007年からは、日本で唯一のプロアドベンチャーレースチーム「Team EAST WIND」のメンバーとして活動を開始。これまでに18戦以上の国際レースに出場し、世界屈指の大会であるパタゴニア・エクスペディションレースでは3度の準優勝を果たしている。同時に、群馬県みなかみ町のアウトドアツアー会社「カッパCLUB」に所属し、現在もラフティングのリバーガイドなどを務めている。2014年、田中の代名詞にもなる「日本百名山ひと筆書き Great Traverse」をスタート。鹿児島県屋久島・宮之浦岳から北海道・利尻山まで、日本百名山をひと筆書きで踏破するという前人未踏の挑戦。陸地は徒歩、海峡はカヤックと、移動手段は徹底して人力にこだわり、全行程7,800kmを208日11時間で踏破した。翌2015年には、日本二百名山の残り100座を北から南へ「日本2百名山ひと筆書きGreat Traverse 2」に挑み、8,200kmを222日で完結。そして2018年からは集大成として、日本三百名山301座・約20,000kmを歩く「日本3百名山ひと筆書きGreat Traverse 3」を開始。コロナ禍による中断を挟みつつも、過去に登頂済みだった200名山もすべて登り直し、1310日かけて完全踏破を果たした。2024年7月には、長年所属した「Team EAST WIND」から独立。チームでの挑戦に区切りをつけ、個人として新たなスタートを切っている。今後は、これまで参戦が叶わなかったトレイルランニング100マイルレースも視野に入れ、変わらぬモチベーションで、その恵まれた肉体をさらに駆使しようとしている。