THE NORTH FACEATHLETE

ATHLETE

SKIERS & SNOWBOARDERS
三浦 雄一郎
Yuichiro Miura

1932年生まれ

青森市で生まれ育ち、少年時代に山岳スキー写真家の草分けだった父・敬三に付いて八甲田山などの雪山を滑ったことが原体験となる。高校時代は全日本選手権で入賞するなど、将来を嘱望されるスキー選手だった。26歳のとき、北海道大学獣医学部助手の職を辞し、五輪を目指して出場した全日本選手権予選で優勝。しかし、選手選考をめぐってスキー連盟関係者と対立し、結果としてアマチュア資格を剥奪される。大きな挫折感を味わうなか、単身で渡米。世界プロスキー選手権に参戦し、プロスキーヤーとしての道を歩み始める。このときから、三浦の発想は狭い日本を飛び出し、世界を見据えるようになっていった。1964年、イタリアで開催されたキロメーターランセ(スピードスキー競技)に初参加し、時速172.084lmの当時世界新記録を樹立。1966年には富士山直滑降。翌年は北米大陸最高峰マッキンリーからの滑降。そして1970年、37歳でエベレストのサウスコル(標高8,000m地点)からのスキー滑降を成功させ、世界を驚かせた。この偉業は、山岳滑降の本場アルプスのスキー登山家の間でも高く評価され、今も語り継がれている。また、このときの記録映画『THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST』は、第48回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。その後、南極大陸最高峰滑降などを経て、1985年、55歳での南米大陸最高峰アコンカグア滑降により、世界七大陸最高峰からのスキー滑降を完遂した。ここから三浦の挑戦は次のステージへと進む。65歳のときに「エベレスト登頂」を目標に掲げ、5年後、次男・豪太とともに70歳7カ月で登頂を果たす。以後も挑戦は続き、75歳で2度目、そして80歳で3度目の登頂に成功したことは記憶に新しい。2020年には88歳で頸髄硬膜外血腫を患い、「要介護レベル4」の認定を受ける。だが、懸命なリハビリを重ねた末、2023年には91歳で冬の大雪山をスキーで滑降、夏には富士山にも登頂。障害が残るなか、「自分の可能性を信じる」ことを力に、90歳を越えた今も、さらなる海外登山やスキーに向けて、自らの限界と年齢への挑戦を続けている。

(おもな経歴)
1964年
キロメーターランセで当時の世界新記録を樹立(時速172.084km)
1966年
パラシュートを着けて富士山 直滑降
1967年
北米大陸最高峰マッキンリー(6,194m)滑降
1970年
エベレスト・サウスコルの標高8,000mからスキー滑降
1983年
南極大陸最高峰ビンソンマシフ(5,140m)滑降
1985年
世界七大陸最高峰からのスキー滑走を達成
2002年
次男・豪太とともに、70歳7ヶ月でエベレスト登頂に成功 *世界最高年齢登頂記録、および日本人初親子同時登頂記録を樹立
2007年
75歳で2度目のエベレスト登頂に成功
2013年
80歳で3度目のエベレスト登頂を達成
2018年
86歳で南米大陸最高峰アコンカグアの6,000m地点まで登攀