クライミングを始めたのは15歳のとき。1980年当時、学生クライマーという存在自体が珍しかったうえに、「強くなりたい」という並み外れたモチベーションも相まって、すぐにクライミング界から注目が集まった。17歳になるとヨセミテで高難度クラックを登り、19歳でフランスを拠点に世界の最先端をいくスポートクライミングシーンに単身身を投じ、日本のクライミング界を驚かせた。翌年、国際大会初優勝、さらに2年後にはアジア人として初のワールドカップ優勝を果たし、今度は世界に衝撃を与える。その後もコンスタントに好成績を重ね、ついには2度のワールドカップ年間総合優勝を達成。世界のトップクライマーとして不動の地位を築いた。平山は、長く欧米人の独壇場だった世界のトップクライマーの一角に名を連ねた最初の日本人であり、その社会的な功績はMLBの野茂英雄やイチロー、サッカーの中田英寿といった各スポーツ界の先駆者たちに匹敵する。クライミング競技で世界に名を馳せた平山は、並行して自然の岩場での高難度クライミングにも等しく力を注いできた。得意としてきたトラッドクライミングでの実績に加え、クライミングの総合的なスキルが求められるビッグウォールでのグランドアップ&オンサイトへの挑戦では、ヨセミテ・エルキャピタン「サラテウォール」(35ピッチ/5.13b)のオンサイトトライや、スペイン「ホワイトゾンビ」(8c=5.14b)のオンサイトなど、世界的に注目を集めた記録は枚挙にいとまがない。2010年には「クライミングを通じて、より豊かな暮らしを実現してほしい」という思いから、埼玉県入間市にクライミングジム「Climb Park Base Camp」を開業。現在は、国内最古であったクライミングジム「T-WALL」の運営も引き継ぎ、首都圏を中心に7店舗を展開している。50代半ばを過ぎた今もその情熱は衰えることなく、2022年には53歳で二子山の「ピースフルマウンテン」(9a/5.14d)を初登。2025年にはエルキャピタン屈指の難ルート「ラーキングフィア」のフリー完登に挑むなど、タフな肉体と尽きることのないモチベーションは、今なお進化を続けている。
1969年生まれ
クライミングを始めたのは15歳のとき。1980年当時、学生クライマーという存在自体が珍しかったうえに、「強くなりたい」という並み外れたモチベーションも相まって、すぐにクライミング界から注目が集まった。17歳になるとヨセミテで高難度クラックを登り、19歳でフランスを拠点に世界の最先端をいくスポートクライミングシーンに単身身を投じ、日本のクライミング界を驚かせた。翌年、国際大会初優勝、さらに2年後にはアジア人として初のワールドカップ優勝を果たし、今度は世界に衝撃を与える。その後もコンスタントに好成績を重ね、ついには2度のワールドカップ年間総合優勝を達成。世界のトップクライマーとして不動の地位を築いた。平山は、長く欧米人の独壇場だった世界のトップクライマーの一角に名を連ねた最初の日本人であり、その社会的な功績はMLBの野茂英雄やイチロー、サッカーの中田英寿といった各スポーツ界の先駆者たちに匹敵する。クライミング競技で世界に名を馳せた平山は、並行して自然の岩場での高難度クライミングにも等しく力を注いできた。得意としてきたトラッドクライミングでの実績に加え、クライミングの総合的なスキルが求められるビッグウォールでのグランドアップ&オンサイトへの挑戦では、ヨセミテ・エルキャピタン「サラテウォール」(35ピッチ/5.13b)のオンサイトトライや、スペイン「ホワイトゾンビ」(8c=5.14b)のオンサイトなど、世界的に注目を集めた記録は枚挙にいとまがない。2010年には「クライミングを通じて、より豊かな暮らしを実現してほしい」という思いから、埼玉県入間市にクライミングジム「Climb Park Base Camp」を開業。現在は、国内最古であったクライミングジム「T-WALL」の運営も引き継ぎ、首都圏を中心に7店舗を展開している。50代半ばを過ぎた今もその情熱は衰えることなく、2022年には53歳で二子山の「ピースフルマウンテン」(9a/5.14d)を初登。2025年にはエルキャピタン屈指の難ルート「ラーキングフィア」のフリー完登に挑むなど、タフな肉体と尽きることのないモチベーションは、今なお進化を続けている。
*世界初。現在も平山のみ
*このグレードでのオンサイトは世界初