ATHLETE EVERYONE ADVENTURE RACERALPINE CLIMBERCLIMBERSPHOTOGRAPHERRUNNERSSKIERS & SNOWBOARDERS SKIERS & SNOWBOARDERS 佐々木 明 Akira Sasaki 1981年生まれ 北海道の道南エリア、北斗市出身。10代からアルペンスキー競技で頭角を現し、19歳で世界選手権デビュー。その2年後、ワールドカップで初めて2本目に進出したウェンゲン大会では、いきなり2位表彰台を獲得。圧倒的に不利なスタート順からの大逆転劇は、今なお語り継がれるワールドカップの伝説だ。ほどなくして世界ランク上位15名によるトップシードに名を連ね、世界を舞台に本格的な活動を開始。アルペン弱小国からの無名の若者ながら、そのアグレッシブな攻めの姿勢は本場ヨーロッパでも注目を集め、アルペン王国オーストリアでファンクラブが誕生したほど。2014年のソチ五輪シーズンを最後に、競技生活に区切りをつける。その間、冬季五輪には4大会連続出場し、ワールドカップでの3度の表彰台は、現在もアジア人最多。記憶にも記録にも残る選手だった。その後は、フリーライディングに活動の軸を移し、世界の雪山を舞台に、自由なスキーの限りない魅力を、写真や映像を通して発信してきた。3年がかりで製作した映像作品『ツインピークス』はその集大成ともいえる。並行して、国内メーカーのレーシングスキー開発に携わり、全日本チームの国内強化ヘッドコーチとして10代の選手を指導。また、東日本大震災後のボランティア活動をはじめ、スキーを通じた多様な社会活動にも積極的に参画してきた。そうして2022年春、「アルペンレース復帰」を宣言し、目標は「2026年ミラノ・コルティナ五輪でのメダル獲得」と表明。挑戦することで価値を高めてきた自分の人生を、もう一度信じるための決断だった。40歳での現役復帰はアルペンスキー界でも前例がなく、世界的にも注目を集めるなか、2024年7月、佐々木はアルペン強化指定選手に選出される。43歳にして日本代表復帰を果たしたこと自体が歴史的快挙だが、当然、本人が目指すのはその先にある。 【主な戦歴】 2001年 世界選手権 St.Anton大会 SL 19位 2002年 ソルトレイクオリンピック GS、SL出場 2003年 ワールドカップ Wengen大会 SL 2位 2004年 ワールドカップ Kranjska Gora大会 SL 4位 ワールドカップ Sestriere大会 SL 5位 2005年 ワールドカップ Beaver Creek大会 SL 4位 2006年 ワールドカップ Schladming大会 SL 2位 冬季オリンピックTurin 大会 GS、SL出場 2007年 ワールドカップ Kranjska Gora大会 SL 7位 2008年 ワールドカップ Zagreb大会 SL 7位 2010年 冬季オリンピックVancouver大会 SL 18位 2013年 世界選手権 Schladming大会 SL 19位 2014年 冬季オリンピックSochi大会 SL出場 【主な冒険記録】 2015年 南米アルゼンチン「パタゴニア地方」遠征 2016年 谷川岳「マチガ沢」 滑降 2017年 ノルウェー「ロフォーテン諸島」 遠征 モンゴル「アルタイ山脈」 遠征 2019年 谷川岳「マチガ沢」 滑降 EXPLORE ATHLETE 中川 伸也 Shinya Nakagawa ジェイク・ブラウベルト JAKE BLAUVELT 藤田 一茂 Kazushige Fujita ブレイク・ポール BLAKE PAUL BACK
1981年生まれ
北海道の道南エリア、北斗市出身。10代からアルペンスキー競技で頭角を現し、19歳で世界選手権デビュー。その2年後、ワールドカップで初めて2本目に進出したウェンゲン大会では、いきなり2位表彰台を獲得。圧倒的に不利なスタート順からの大逆転劇は、今なお語り継がれるワールドカップの伝説だ。ほどなくして世界ランク上位15名によるトップシードに名を連ね、世界を舞台に本格的な活動を開始。アルペン弱小国からの無名の若者ながら、そのアグレッシブな攻めの姿勢は本場ヨーロッパでも注目を集め、アルペン王国オーストリアでファンクラブが誕生したほど。2014年のソチ五輪シーズンを最後に、競技生活に区切りをつける。その間、冬季五輪には4大会連続出場し、ワールドカップでの3度の表彰台は、現在もアジア人最多。記憶にも記録にも残る選手だった。その後は、フリーライディングに活動の軸を移し、世界の雪山を舞台に、自由なスキーの限りない魅力を、写真や映像を通して発信してきた。3年がかりで製作した映像作品『ツインピークス』はその集大成ともいえる。並行して、国内メーカーのレーシングスキー開発に携わり、全日本チームの国内強化ヘッドコーチとして10代の選手を指導。また、東日本大震災後のボランティア活動をはじめ、スキーを通じた多様な社会活動にも積極的に参画してきた。そうして2022年春、「アルペンレース復帰」を宣言し、目標は「2026年ミラノ・コルティナ五輪でのメダル獲得」と表明。挑戦することで価値を高めてきた自分の人生を、もう一度信じるための決断だった。40歳での現役復帰はアルペンスキー界でも前例がなく、世界的にも注目を集めるなか、2024年7月、佐々木はアルペン強化指定選手に選出される。43歳にして日本代表復帰を果たしたこと自体が歴史的快挙だが、当然、本人が目指すのはその先にある。
ワールドカップ Sestriere大会 SL 5位
冬季オリンピックTurin 大会 GS、SL出場
モンゴル「アルタイ山脈」 遠征